前回から続いております
前回は、、、、
以前予想した
により一層確信が湧く
という具合でしたけども
よう考えてみれば
“弘前” の “弘” と
黒石藩の紋の “ふつ” ↓ の
左側の偏は似てますものね。
さて、
まずはコチラ ↓ をご覧頂きたく
このように弘前公園は
本丸を中心にして
西側と東側にそれぞれ三本の川(濠)が作られている
と思います
◎参考記事◎
その本丸から見て西側の先にあるのは岩木山
コレは本丸から見る事が出来ました
◎参考記事◎
そして、
その本丸から見て東側の先びあるものが、、、、
十和田湖なのだと思います!
こんな具合です ↓
そもそも、
弘前という町は為信の軍師 沼田面松斎によって四神相応繁盛の勝地とされ
例えば京都などの様に
東西南北とそこに配置するものがしっかり計算されて作られたのに
前々から、
何故弘前城はキッチリ東西南北に面するように作らなかったのかと疑問だったのですよ
それでややずれている弘前公園の東西の面を伸ばしてみれば
まぁ、
岩木山は本丸から見えるので想像しやすいですけども
十和田湖にぶつかるといいますか
この時 ↓ の記事でも予想しましたが
そしてその延長線上に面するように城を作った
更に、
という事が判っていたからこその
面するお濠が三本なのだろうと
仮にもし当時、
地理的に判明していなかったとしても
岩木山 → “いわ(=は)” = “一 八” /“木” = “十 八”≒ 一 八 十 八の山
十和田湖 → “和” = “八”≒ 十 八 十 の口の湖
※追記※
“和” を分解しても “ 十 八 ノ 口” ですな
色々なものに姿を変える八の岩木山信仰をしていれば
岩木山の神さま関連で陰陽と気づき
三神の原理を使ってお濠を作ったのではと
だいたい二階堰川においては
城の防衛の為とわざわざ土淵川から城内にひっぱって来たワケですが
川の幅も狭く城の防衛効果という点では甚だ疑問なワケです
つまり、
為信的に三本にする必要があったから
と考えられるのでは
◎参考記事◎
未使用の2017年春の西濠横の二階堰川 ↑
西濠なんぞと比べると幅の広さはかなり狭いかと
また先述の『岩木山の神さまのギフト』では、
陰陽などの対になるものが一対になる事で
次のエネルギーが発生する
と書いておりますけども
つまり為信は
本丸に良い気が流れるようにした
いや何がいいたいかといいますと、
弘前公園に来たら本丸まで昇れば縁起がイイ
要するに、
弘前公園の本丸は所謂パワースポット
といいますか
長くなりましたのでこの記事はこの辺で
続きます〜
読んでくださった方に感謝を込めて。