前回から続いております
前回までは、、、、
津軽為信の使っていた4つの紋の内
1→“まんじ”
2→ “輪宝”
3→ “錫杖” + “牡丹”
で実は3つの紋で岩木山の神さまによく見られる
三神の原理
を表現したのでは?
という具合で、
何故そう思うか
というご説明をさせて頂こうとしていた所なのですけども
せっかくなのでちょっとココで付け加えさせて頂きたく
当ブログでその辺をそれなりに詳しく綴ったのがコチラ ↓
今回、
弘前藩の “紋” について調べていて
たまたま黒石市の市章をお見かけしまして
ちょっとビビったといいますか、
黒石市の市章に使われているのは
かつて黒石藩が旗印として使っていたもので
“黻(ふつ)”
というのですけども
ザッと書いてみますとこんな具合 ↓
なんといいますか、
上記リンク先で綴った内容と似てるといいますか
いや上記では、
青森県地図の中で岩木山と十和田湖は向かい合っているように見える
という事から
弘前と黒石でも陰陽みたいな対の役割で町が作られたのかも?
といった内容のお話をさせて頂いたのですが
改めて当ブログのカンタン地図を見てみますと ↓
いやいやいやいや、
これは偶然にしては出来過ぎのような
やはり当時の幕府は色々とお判りになっていたのでしょうね、、、、
更にいいますと、
“ふつ” の真ん中の白い部分は何に見えるでしょうか〜?
いやはや、
オモシロイ岩木山の神さまですけども
そもそも、
昔の中国では “ふつ” には “星” という意味があったそう
しかし黒石藩のは上記の理由と
黒石藩が弘前藩と対という意味合いが強いでしょう
とにもかくにも、
こんなところでも答え合わせがー!
という衝撃話でした
話を為信の弘前藩へと戻しまして
そういえば、
当ブログでは津軽為信ご本人さまのご紹介をまだしておりませんでしたので
ココでご登場願いましょう ↓
あ、間違えました
コチラ ↑ は為信もモチーフになっている
ええ〜と、、、、
コチラですコチラ ↓
「上から失礼」
とかいうお言葉が聞こえてきそうですけども
これら ↑ はだいたい以下の場所にございまして ↓
②番:弘前市立観光館にたか丸くん
って、
そうそうそうそう
弘前公園のお話でしたね
しかーし、
長くなってしまったので本日の記事はこの辺で
続きます〜
読んでくださった方に感謝を込めて。
「待て、次回!」