おもちゃ箱な平生草子のブログ

好きなイロ色を書いております

 

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岩木山の神さまのギフト(2)

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前回から続いております〜

前回は、、、、

鬼神社の独特な参道は

U字なのではなく左回り

なのではと思い至り

左回りに関する色々な事を検証してみて

鬼神社

一の鳥居から鳥居を順番にくぐりながら

左回りに回って拝殿で祈る事によって

参拝する方々の気を入れ換え

願い事等に集中して

=天と対話しやすいように

=叶いやすいように

作られたのでは

という具合でしたけども

考えてみれば、

一の鳥居から拝殿・本殿までは左回りですけども

拝殿・本殿から参道通りに一の鳥居まで戻れば帰りは右回りをする事になる

コレは拝殿・本殿に参拝して祈った状態を保つような効果が期待出来るのでしょうか

それで突然ですが、

ラーメン屋さんで昔によく見られたラーメンどんぶりの柄といえば、、、、

四角ばったグルグルの右回りと左回りの円が繋がった文様

どんぶりの縁にビシーっと描き並べられている

という具合に思い出して頂けるとありがたいのですけども、

その文様は中国では古くから雷紋というそうで

古代中国の方々は稲妻に “天の意思” とか “天のエネルギー” とかを感じたそうで

雷紋を付けると “その付けた物の内部を邪霊から守る” という意味もあるのだとか

それで、

右回りの円と左回りの円が一対となる事で

次のエネルギーを発生させる

という意味があるらしく

これを陰陽に言い換えると、

陰と陽が一対となると次のエネルギーを発生させる

おや、

当ブログの岩木山の神さまシリーズのどこかで見た内容です←(笑)

※この辺ですね ↓

omochasoushi.hateblo.jp

この辺で予想した事がそんなに外れていなかったみたいな?

もっといいますと

この雷紋のそもそもの元のデザインでは?といわれていたりするのが饕餮なのですが

饕餮(とうてつ)” というのが中国の神話に出てくる怪物で

身体がか羊、曲がった角の牙、人の顔を持つとされ、、、、

あれ?何かのイメージと被るような、、、、

あ、バアル

なんだかまたぐるっと回ってしまった感がございますけども

とにかく今回に於いては、

お行儀よく鬼神社を参拝する事で良い事が起こりやすい

みたいな具合でしょうか

では何故、

春日神社が中心にあって “雷” が重要なのか?

その辺りを考えてみたく今回まずは、

以前より鬼沢の方々から聞き及んでいたお話をさせて頂きたく

それが、、、、

鬼神社は元々

岩木山神社やその元宮の巌鬼山神社よりも

格が高い神社だった

と仰るのですけども

いや、 信じているとか信じてないとかではなくて

なんといいますか、

鬼沢の方々はとてもお話がお上手で面白い方々という事もあり

本当かなーと

まぁ、正直思っていたところがなかったと言えば嘘になるかもですが

更に皆さまはその証拠に

神紋に弘前市(元々弘前藩の紋章)と同じ

卍(まんじ)の使用を許されている

 と仰るのですけども

いやだって、

弘前藩の紋章ですと古くても戦国時代から江戸時代ですので

どーなのかなーと

まぁ、正直思っていたところがなかったとやはり言えば嘘になるかもですが

とにかく先日、

このような物を発見致しましたのです ↓

コチラ ↑ はインドのオイルランプで

ボディにまんじ紋

登頂部分にオーン

台座部分に両方

それぞれ入っておりまして

なんといいますか、

まんじ紋は

割と世界各地で遥か昔々から “太陽” だとか “吉祥” のシンボルとして使われていた

という事が発掘調査などからも判ってきており

ヨーロッパでは新石器時代に使われているのが確認されている

オーンはアウムとかとも言ったりするみたいですが、

インドで古くから神聖視されている呪文といいますか聖音

簡単にいいますと始まりであって終わりという意味合いもあるといいますか

まぁ、

“力のある文字” と信じられていたからこそ

どちらも悲しいかな

間違った価値観の元に間違った使い方をされてしまい

現在では悪しきイメージもあったりします

ヨーロッパの方々や関係者の方々で気分を害させてしまったら申し訳ないです

しかしながら、

やはりあるのですよ

岩木山の神さまの逆パターンで

良きものを悪しきものに利用して

良きものだったものを悪しきものにしてしまう

そういう工作が今尚平然と悪びれもなく行われているのです

“物” や “音” “文字” “人と意思疎通出来ない物事” 等は

それ自体が自らの意思でどう使われたいかを選べないのに、です

だから我々はいつの時代も、

知識・情報を得てもそれを丸呑みするのではなく

自分自身で考えて自分なりに咀嚼する事がとてつもなく大切な事

なのだと思います。

今は話を進めさせて頂きまして、

両者が一緒のデザインというのはインドには昔からよくあったそうで

といいますか、

とにかくオーンの模様が “山” という漢字っぽい

といいますか、

岩木山” の形っぽいといいますか

更に実は、

まんじ紋を組み合わせると紗綾形(さやがた)というのですが

こーれーが〜、

一説では 雷紋繋ぎ ともいうと

つまり、

まんじ紋 = 雷紋ともいえたりするのでは

となってきますと、

今までの当ブログの岩木山の神さまシリーズの推理と組み合わせると

線が出来てくるかと、、、、

津軽半島の北の十三湊では中世か、もしかするともっと前から世界と貿易していた

となれば、

日本から輸出されても海外から輸入されても

そもそも元々鬼神社ではまんじ紋が使われてたという可能性は大きくなる

しかも、

弘前藩初代藩主津軽為信の母は岩木山の神さまを信仰していたっぽい安倍氏の末裔

だから為信は早くから自分の紋としてまんじを利用出来ていた

為信は出自であったり津軽の領土を隠すため

岩木山信仰や安倍氏に伝わるものを徹底的に弾圧したが

何らかの理由で鬼神社の神紋はそのまま遺された

若しくは使わせる形をとってそのまま遺された (神社的格も高くして貰えた?)

“そのまま遺す” といえば、

そういえば

農林水産祭中央審査委員会で審査される

農林水産祭参加表彰行事の “むらづくり” 部門で鬼沢地区は

平成26年度の53回大会で最高賞の天皇杯を頂いた

そうなのですけども、

昔ながらのそのままの村だから

というのが先方から鬼沢の方々が直接聞いた大体の受賞理由だったそうで

つまり、

鬼沢は昔ながらの村の形がわりと遺っている場所

これは良いヒントになりそうな

上皇様、ありがとうございます!

続きます〜

 

 

読んで下さった方に感謝を込めて。

 

 

拝殿前の鳥居にまんじ紋 ↑

神社的格のお話は 近世に入ってから神社を束ねる所 、、、、

って、やはり神社庁でしょうか?

神社庁に納める金額が格が高いと並行して高いらしく

最終的に低くしてもらい、現在に至るそうです。