おもちゃ箱な平生草子のブログ

好きなイロ色を書いております

 

◎スマホでご覧下さる皆さまへ◎

スマホで当ブログ記事を閲覧すると、はてなの仕様で文章途中で広告が入ります。

スマホの設定を「PC版で見る」に設定下さいますようお願い致します。

 

ひと狩りしようぜ!2016@もみじ山=黒瀧山!(1)

web拍手 by FC2

東北地方の地震、心配ですね

どうぞ皆さま気を付けてお過ごし下さい

 

当ブログでは当ブログの出来る事を致したいと思う次第です

という事で

前回記事に引き続いておりまして、

岩木山と八甲田連峰の間の黒石市紅葉狩りです

 

黒石市紅葉狩りといえばやはり中野神社有するもみじ山となりまして

中野神社は当ブログのテキトー地図ではだいたいこの辺 ↓

f:id:imotaS:20211218191151j:plain

なんといいますか、

先日ご紹介の八甲田連峰の玄関口といいますか

八甲田連峰に登り始める本当に手前にあるといいますか

そんな中野神社、

当ブログ的に例によって “坂上田村麻呂” が建立したとされており

当ブログでは東北津軽で神社仏閣建立由来に坂上田村麻呂” が登場すると

過去記事の経緯から、

その由緒を訝しんでおります真っ最中でして

それで思ったのですけども、

まぁアクマで当ブログ的にですけども〜

つまり逆に、

坂上田村麻呂が建立したとされている神社仏閣は元々別の何かが祀られていた

と結びつけられる事が可能かもだな、と

実際この中野神社の場合、

坂上田村麻呂が登場するのは795年らしいのですが

 

610年に聖徳太子の命で唐僧円智上人が津軽に来て

1本の木から3体のお不動様を作り

長谷沢の東光山五輪寺、中野の黒瀧山、古懸の国上寺

に勧請し津軽三不動信仰が確立された

 

らしいのですけれども、

なんと言いましても聖徳太子も時の政権の勝者の方といえますので

三不動の由来が本当に正しいものなのかは今となっては判断しかねますが

まぁ、

お不動さま=素盞嗚尊(=国常立命=八)

と、いいますからねぇ

とにもかくにも、

ココでご記憶頂きたいのは中野=黒瀧山だったという事で御座いまして

ほら、

“黒瀧” といえば最近当ブログで登場しましたね ↓

津軽秘境?巡り(3)」

それはまた別のお話とさせて頂きまして

恐らく、

1802年弘前藩9代藩主 津軽寧親が中野不動尊一体のモミジに魅せられ

京都から楓の苗・百余種を取り寄せ奉納した辺りから

黒瀧山<もみじ山

と云われる様になったのかなぁ? とか想像しますが

ひとまず、

もみじ山に参りましょう ↓

f:id:imotaS:20211218191232j:plain

全体像がこんな具合で ↑

 

f:id:imotaS:20211218191254j:plain

中野神社の一の鳥居前です ↑

この辺りから屋台の出店があったりして

(黒石ならではで “黒石焼きそば” のお店など御座いました)

さながらお祭りです

しかし本日も、

屋台で買い食いの前に中野神社の神さまにご挨拶しに参ります

そうそう、

その一の鳥居直ぐにこの様な ↓

f:id:imotaS:20211218191311j:plain

コケシのねぷた?の様なオブジェ?があります

黒石市は、、、、

まぁ、

今は色々と問題がありましたが

津軽こけしの発祥の地とされております

 

f:id:imotaS:20211218191325j:plain

二の鳥居 ↑

以下 ↓ は若干縮尺が違うとか被り過ぎとか御座いますけども

2枚ぶち抜きのテイでお送り致したく、、、、

 

 

f:id:imotaS:20211218191343j:plain

f:id:imotaS:20211218191359j:plain

下の写真の下方に写り込んでいる赤い橋が

もみじ山の全体像写真の写っていた赤い橋で不動橋

その先の赤い門が隋神門

そして隋神門前に1対生えている、この2枚のメインの木が

青森県指定の天然記念物樹齢200年のモミの木だそうですが

やはり写真ではその大きさが伝わりずらいですのでデータのご紹介をば

それぞれ

 

向かって左側 → 樹高:33メートル/幹周:3.43メートル

向かって右側 → 樹高:38メートル/幹周:3.95メートル

 

だそうです

 

f:id:imotaS:20211218191416j:plain

四の鳥居 ↑

 

f:id:imotaS:20211218191432j:plain

五の鳥居前の狛犬的ポジションの鳥 ↑

どうも、

古懸の御不動様と共に津軽一代様で酉年の 一代様のようです

 

f:id:imotaS:20211218191447j:plain

拝殿が見えて参りました ↑

因みに、

拝殿前にぶっとい木がございますが大杉といい

黒石市指定の天然記念物

樹齢:500年

樹高:34メートル

根元幹周:10.9メートル

幹周:5.3メートル

ですって!

ではご挨拶致しましょう!

 

中野神社の神さま、御機嫌よう!

 

ところで、

この中野神社の境内のお社の配置がザッとこんな感じでして ↓

f:id:imotaS:20211218191504j:plain

とにかく真っ先に何が言いたいのかと言いますと、

坂上田村麻呂が一人ボッチ的位置といいますか

この時とよく似ています ↓

「白色の津軽の神さまと人々〜猿賀神社」

 

なんといいますか、

拝殿・本殿周りの4社は左側の階段と右側の川の中でといいますか

坂上田村麻呂だけ川向こう

しかも六の鳥居の上位位置にはあるものの

拝殿・本殿周り4社には別個鳥居があるのに

坂上田村麻呂のお社の前には鳥居がない

坂上田村麻呂後付け説の匂いがプンプン致します

ま、

それはさて置くと致しましても

なんといいますか、

拝殿・本殿周りの4社と鳥居位置が何となくシンメトリーといいますか

少名彦命と本殿と大山祇神が同列的位置なのも興味深く

ええと、

中野神社に祀られているとされているのが

 

中野不動尊

日本武尊

坂上田村麻呂

岩戸姫命

大山祇神

倉稲魂命

少名彦命

 

ですので、

上記境内見取り図から考えまするに

本殿には中野不動尊日本武尊がおられるのでないかと

岩戸姫はいわゆる 『記紀』には登場しない神さまですが

平家物語には日本武尊の妻として登場しておりまして

記紀では日本武尊の妻は宮簀媛(ミヤズヒメ)とされており

岩戸姫=宮簀媛といわれております

それで平家物語で、

日本武尊が東国を攻めた時に使われた幡を納めた所が幡屋(はたや≒幡ハ?)

なんて表記があるのですけども、

“幡”といえば

当ブログオーナーが正史ではないですけども参考までに読む

『ホツマツタエ』

では

 

“八” と “幡” について “八ヶ所に八神の幡を立てる”

 

という表記が御座いまして

ソレって八幡神社が思い浮かぶのですけども

しかも、

日本武尊は素盞嗚尊が手にした “アメノムラクモ=草薙剣” を使っていたり

しまして

なんだかんだで、

日本武尊=素盞嗚尊

だったりして

なんて思ったりもするのですけど

あ、 ちょっと岩木山の神さまシリーズになって参りましたので

話を戻しまして

とりあえずそのお社各種です ↓

(写真はクリックorタップで拡大してご覧頂けます)

 

 
f:id:imotaS:20211218191209j:plain
f:id:imotaS:20211218191626j:plain

 

右:坂上田村麻呂お社

左:川を挟んで

 

f:id:imotaS:20211218191721j:plain

右奥 → 大山祇神お社

左手前 → お稲荷さんお社

 

 
f:id:imotaS:20211218191742j:plain
f:id:imotaS:20211218191752j:plain

 右:岩戸姫お社

左:少名彦お社

 

と、 いった所で今回は長くなりましたので一旦ここまで

 

次回、

もみじ山に登ります〜

 

 

読んで下さった方に感謝を込めて。

 

 

f:id:imotaS:20211218191911j:plain

お社の広場を見取り図左の階段上から撮ったもの ↑