おもちゃ箱な平生草子のブログ

好きなイロ色を書いております

 

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白色の猿賀神社

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・・・前回色々と出ましたのでマズ前回のアラスジおさらい・・・

 

津軽一代様の“馬”が白山姫神社と気付き

津軽オシラサマが盛んだった久渡寺は

岩木山と相対する位置にある白神山地の入り口にあって

津軽オシラサマはシラカミサマともいった

つまり、

白神山地オシラサマで白山信仰瀬織津姫→皇后

であるならば、

岩木山は皇

天照大神の荒御魂が瀬織津姫でこの世とあの世と繋ぐ神的な事から

巖鬼山神社・岩木山神社鬼神社御祭神様に共通する

大山祇は天照大神のこの世の姿で

岩木山神社境内にある出雲神社御祭神様の

大国主神天照大神のあの世の姿

 

・・・といったカンジでしたが、

白神山地と相対する岩木山についてもう少し考えてみたく

といいますのも、

当ブログ過去記事の “鬼伝説に迫れ” では

 

“岩”を祀る事で“岩木山信仰”が表せられるなら

“岩”を祀る事は“巌鬼山信仰”を表す事にもなるといえるから

“岩”を祀る事は“鬼”を祀る事にもなっている

巌鬼山の入り口と言っても過言ではない赤倉の中に大石神社があり

そして

大石神社の後ろには岩があって

更に後ろには龍神が住まうという渓流がある

また

岩木山の神さま第1シリーズ” では

 

山神様=鬼=龍

巌鬼山=鬼沢=赤倉

巌鬼山=赤倉山→赤倉大神・赤倉大権現

 

といったコトを書いてますので

こういった観点からも考えたいと思いつつ

 

実は、

前回の黒石の羽黒神社の後に

ここまで来たのなら折角なので寄って行こう!

という、

実に軽ーいノリで参拝させて頂いた神社が御座いまして、、、

それが猿賀神社(さるかじんじゃ)

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この相変わらずテキトー手前ミソ地図でいうところの

黒石は弘前の東でしたが

猿賀は弘前のドンピシャな真東といった具合

この猿賀神社がコレまた実に良いヒントになりまして〜…

 

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まずは一の鳥居

遠くに見える赤い鳥居が二の鳥居

 

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そしてコチラが三の鳥居

ここから奥に見えますのが〜…

 

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拝殿です

ちなみに御祭神様とされていますのが

・上毛野君田道命

なんでも、

 

井寺の水門(いじのみなと)で蝦夷と戦って戦死したそうで

その墓を蝦夷が暴いたら遺体が大蛇になって毒を吐いて

なんだかんだで坂上田村麻呂が猿賀に祀った

 

というのですけども〜…

また坂上田村麻呂ですよ。

表向きに伝えられている事は

時の権力者にイイように何かを改ざんされた的なカンジで

眉唾と思っていいのではとワタクシはやはり思ってしまいます

なーぜーなーらー…

コチラ ↓ をご覧頂きたく

 

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コチラは、

拝殿の向かって左横に祀られた上毛野君田道神霊の石

 

だって拝殿とは別個に祀られているのですよ!

 

つまり、

拝殿・本殿には上毛野君田道命ではない何かが祀られている

と、推理するのが定石のような・・・

とか思って本殿を見てみましたら ↓

 

 
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 写真を小さくしたので判りづらいかもですが、

※写真をタップorクリック頂くと大きい画像がご覧頂けます

 

本殿の柱に白い龍が

 

コレ、

何処かで似たようなモノを見ましたね

そう!コチラ→

 

omochasoushi.hateblo.jp

omochasoushi.hateblo.jp

omochasoushi.hateblo.jp

 

 更に、

こちらの社務所の右側の場所に猿賀石・丑石という

有形文化財になっているらしい巨石群がありまして

こーれーがー!

 

古代人の巨石崇拝の遺物と推定され

古代人の斎場遺跡として猿賀という地名が起こった

 

と、説明看板に書かれてあって!

え?

巨石と看板の写真はどうしたって?

いや〜…

なんだかんだで撮ってなかったといいますか(汗)

※近々撮りにいきましたらまた記事に致します

 

と、とにかくですね、

 

猿賀でも巨石≒岩の信仰があった!

 

というコトで

とりあえずひとまず落ち着いて

拝殿から右折する形に延びる参道を道沿いに進めば見えて参りますのが ↓

 

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宗像三女神を祀る胸肩神社・・・

こちらの御祭神様は

市杵島姫命

・海の神様

 

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あ、狛犬様に角が。

それはまぁともかく、

ワタクシは思ったのです、、、

 

そーいえば、

岩木山の神さまシリーズに出てくる神社にはどこにも水辺があったなと。

 

更に付け加えると、

 

実は宗像三女神なり弁財天様は瀬織津姫の形を変えた姿と云われていたり

そんな瀬織津姫は祓う力もあるので禊の意味合いも持ち

転じて水神で龍神様でもあると云われていたり

 

とか思いつつ

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池の真ん中の胸肩神社社殿 ↑ から池向こうにお堂が見えまして

向かってみましたらば ↓ の左側

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あかい堂という水天宮だそうでして

御祭神様が

・水波能女神

龍神

 

名前があかい堂って

なんだか赤倉が連想されますが

しかもこの社殿の裏には湧き水が御座いまして

↑ の右側

 

 しかも場所的には拝殿の横みたいな裏みたいな場所

 

ついでに書いてしまうと

 

水波能女神も瀬織津姫の形を変えた姿とも

しかも龍神

 

ここで皆さまに思い出して頂きたいのが

天照大神の荒御魂が瀬織津姫

猿賀神社の成り立ちで坂上田村麻呂が祀ったのが?

大蛇になった上毛野君田道命

つまり、

ココにはそもそも元々大蛇≒龍神が祀られていて

その力を利用してこの辺りの蝦夷を手なづけたかった?時の権力者が

無理やり色々とこじつけた

 

蝦夷はそれはそれは時の権力者に良くは思われてなかった

(残されている権力者側の書物から参考)

更に蝦夷が祀っていた神やらもこぞって偽装された

つまり、

その神は時の権力者にとって都合の悪い物だった≒鬼

とも考えられるのでは?

要するにそれは、

 

男神としての天照大神

その妻の瀬織津姫

そして天照大神龍神だった

 

ま、当時は天照大神がそのお名前で呼ばれていたかどうかとかは判りかねますが

(瀬織津姫にも沢山のお姿やらお名前があるので)

昔の津軽の民はその神さまから恩恵をうけていたので

(カミサマ・ゴミソ・オシラサマ・稲作等の水道整備・鉄の製造技術・等々)

 

だから天照大神は山神様として隠して

その象徴の山を岩木山≒巖鬼山として岩を祀った

更にその主要神社には水場を存在させて

密かに龍神としても祀った

 

とか?

長くなりました、、、

初詣記事の猿賀神社編はこの辺で。

 

初詣記事はもう少し続きます。

 

 

読んで下さった方に感謝を込めて。

 

 

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猿賀神社の胸肩神社があるお池を鏡ヶ池といいまして

夏は蓮の花の名所なのですが

冬は冬でこんな感じで風流があるといいますか。

それにしても

アクマでも津軽ではですけども

瀬織津姫白神山地オシラサマで白色とすると

天照大神岩木山(赤倉)でカミサマで赤色となりますでしょうか

紅白で混ぜればピンクとか・・・ かわいいご夫妻です←(笑)