おもちゃ箱な平生草子のブログ

好きなイロ色を書いております

 

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白色のご夫妻

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前回記事からの続きになります〜

 

 前回の多賀神社は一代様の子担当寺社という事でして

せっかくですので

まだ当ブログでご紹介していない神社に行ってみよう

という若干行き当たりばったり的に

一代様の馬担当・黒石の袋観音 白山姫神

を目指す事に致しまして・・・

 

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黒石は

地図的にはコチラでいうところの

弘前の東です ・・・

そのようにカーナビに入れて

到着致しましたのがコチラ ↓

 

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※鳥居にご注目

 

ん?

羽黒神社

 

 
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まぁでも、

狛犬的配置にお馬さまもいらっしゃるコトですし…

なんといいましても、

馬年御担当の一代様ですから〜

 

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そして拝殿〜…

ですが!

後日今回一連記事を作成しようと調べてて

どーうも

この “羽黒神社” は “袋の観音様 黒石の白山姫神社” の連絡所らしく

袋観音の白山姫神社自体は更にこの先にある事が判明!

しかしながら、

コチラの羽黒神社では袋観音白山姫神社のお守りなどを販売されておりました。

袋観音白山姫神社に参拝する事なく何故かお守りをゲットするという…(汗)

というコトで、

袋観音白山姫神社に記事は見送りしようかと思ったのです ・・・

ですけども、

ちょっと気付いてしまったのですね。

 

津軽一代様の“馬”白山姫神であるコトに

 

え?

ただ繰り返してるだけだろって?

いやいやいやいや、

皆さま、

今回シリーズの久渡寺記事を思い出して下さいませ。

 

久渡寺のオシラサマはシラカミサマとも言われており

ワタクシは白山信仰を連想させると書いておりました

白山信仰とは白山姫神社への信仰を指します

それで、

オシラサマの物語にはが登場します

この事からワタクシは、

津軽一代様の観点からオシラサマは白山信仰と関わりがある

と予想します。

ここで

白山姫神社に祀られる事の多いご祭神様といえば

白山比咩大神・伊邪那岐神伊邪那美神

となりますが、

白山比咩大神は菊理媛神と云われまして

日本の神話をご存知の方ならピンと来られると思いますけども

ご存知ない方の為にザッとあらすじをご紹介しますと

 

イザナミを追って黄泉へと行かれたイザナギ

なんだかんだで黄泉から脱出する際に菊理姫が手助けをする

 

というカンジで

なんといいますか、

菊理姫はあの世とこの世を繋ぐといいますか

ほら。

オシラサマは目に見えない何かを降ろします

では何を降ろしているか。

慌てずにもう一つ、

この菊理姫イザナギをあの世から脱出させる手伝いをされておりますので

祓う力もあるというコトで

菊理姫瀬織津姫とも云われましておりまして

瀬織津姫

日本書紀古事記には登場しておりませんけども

大祓詞に祓う神さまのお名前として登場しておりまして

 

大祓詞神道で読まれる祝詞の一つ

 

大祓詞より部分抜粋

彼方(おちかた)の繁木(しげき)が本を(もと)を焼鎌(やきがま)の

敏鎌(とがま)以ちて打掃ふ(うちはらう)事の如く

遺る罪は在らじと祓い給ひ清め給ふ事を

高山の末短山(すえひきやま)の末より佐久那太理(さくなだり)に落多支つ(おちたきつ)速川の瀬に座す

瀬織津比賣(せおりつひめ)と云う神

大海原に持ち出でなむ

 

さーらーに、

この瀬織津姫天照大神の荒御魂として伊勢神宮の別宮に祀られている神さま

でして。

また、

なんといいますかまぁ当ブログオーナー的にですけども〜

日本書紀古事記は時の権力者が作成した物で

時の権力者にとって都合の悪い物、

つまり敵対勢力など 例えば蝦夷とかですね

に、ついては良くはもちろん書かれておりませんので

ワタクシはホツマツタエなんかも参考に読むのですけども

そのホツマツタエの中で

天照大神男神で奥様が瀬織津姫

と書かれていたりするのですね。

何が言いたいかといいますとですね、

津軽オシラサマが盛んだった久渡寺は

岩木山と相対する位置にある白神山地の入り口にあって

津軽オシラサマはシラカミサマという

つまり、

 

白神山地オシラサマで白山信仰瀬織津姫→后

 

なのではないかと・・・

ではここで白神山地と相対する岩木山についても考えてみるべく、

当ブログ過去記事の岩木山の神さま各シリーズに主に登場する神社の

現在の御祭神様とされる神さまを書き出してみましょう

 

・巖鬼山神社 → 大山祇神

岩木山神社顕国魂神多都比姫神宇賀能売神大山祇神坂上刈田麿命

鬼神社 → 高照比女神/伊奘那岐大神/大山祇神

大石神社 → 高皇産霊神神皇産霊神

 

※歴史の途中で巖鬼山神社の神さまは岩木山神社に移られてます

 

大石神社は巖鬼神社の御祭神が岩木山神社に移られてから

元々の大石(岩)=赤倉を信仰していく的な感じで

高皇産霊神神皇産霊尊が祀られたのかなと

 

高皇産霊神神皇産霊尊は日本の神話で天地開闢の時に現れる神さま

 

では次に岩木山神社顕国魂神について

顕国魂神 “顕国” というのはこの世という意味が御座いまして

よくよく考えてみれば、

岩木山神社には境内に別に出雲神社があったりしましたね。

 

岩木山の神さまシリーズ第一弾でワタクシが疑問視してます

 

出雲神社の御祭神様といえば大国主神

日本の神話では天津神に国譲りをして幽冥界の主・幽事の主宰者となったとされる

つまり、 あの世

岩木山神社の中にこの世とあの世がある的に考えられるのでは?

ほら、

天照大神の荒御魂が瀬織津姫でこの世とあの世と繋ぐ神

ですよ。

 

岩木山と相対する白神山地オシラサマで皇后であるならば 岩木山は皇

 

更にその皇もあの世とこの世を繋ぐ的な力が后と同等かそれ以上にあるのでは?

それで、

巖鬼山神社と岩木山神社鬼神社で共通する神が大山祇神

巖鬼山神社が移った先の岩木山神社であの世とこの世もあると

 

岩木山が皇なら

三社共通の大山祇は天照大神のこの世の姿で

大国主神天照大神のあの世の姿

 

といえるのでは。

更にここで気になったのが鬼神社の高照比女神

弘前の方ならピンと来られると思うのですが

岩木山神社の近くに高照神社があるのですね。

それでこの高照神社の御祭神というのが

 

武甕槌神天児屋根命/伊波比主神/比売神津軽信政命/津軽為信

 

高照姫神は入っておられないのです

が!

ほら、 前回多賀神社の時に出てきた弘前藩4代藩主 津軽信政が。

 

例えば、

明治神宮などは明治天皇が祀られておりますが

何故祀られたかといいますと

それ程強い力を持たれていたからという事があったりしますが

この津軽信政も儒学やら吉川神道やらを学んでいたりして

江戸時代初期の名君なんて呼ばれたりもしておりますから

津軽でそれなりの力を持たれていた藩主であったのではないかと思うのですね。

それで前回当ブログオーナーは

江戸幕府であったりこの4代藩主 津軽信政は

ちゃんと日本を治めようとしていたのではないかと書きましたが

津軽信政は5代藩主信寿に遺言を残してこの高照神社を作らせており

 

高照姫は下照姫ともいい

高照は天照で天界、下照は下で下界

 

とも云われていたり

そういう事を頭に入れて津軽周辺の地図を見れば

岩木山神社から順に東に

 

岩木山神社 → 高照神社 → 弘前城

 

という流れが出来ているといいますか。

そんなこんなで、

 

オシラサマが何を降ろしているかといえば・・・

天照大神ご夫妻

 

とか?

ちなみに、

岩木山神社多都比姫神宇賀能売神は〜

どのような神かまだあまり知られていない神さまで

坂上刈田麿命は論外で問題ないかなと。

 

長くなったので、

今回はこの辺にて。

 

初詣記事はまだまだ続きます〜。

 

 

読んで下さった方に感謝を込めて。