いや~…
やっぱりこのシリーズはナッガイですねぇ
読み返してみて…
若干…
岩を祀る事は鬼信仰
…は行き過ぎたかな~と思わなくもないですが
ちょっと補足をさせて頂きますと
コチラの過去記事
で
ちょっくら触れたのですが、
大石神社の本殿の後ろに岩がありましたが
本殿のすぐ裏は急勾配の断崖絶壁になっておりまして
その下へ降りていくと渓流が流れているという感じでして…
そんなすぐ後ろが崖の場所にわざわざ岩を置いているのも不自然と思って
昨日の記事を書かせて頂いております。
いや、 場所的な説明をしなかったので補足です~。
でも…
元々“岩木山”は“巌鬼山”という文字を使って“いわきさん”と読んでいたのでわ?説
はちょっと私的推し説です
…そういえば、
「せかっくだから寄ってく?」
と、遊びに連れて行ってくれると…
そこは龍神関係率が高いという青森でのマイ霊感センサーな…
マイ父上が、←説明が長い上に何だか微妙な紹介
“巌鬼山”を“がんきさん”ではなく“いわきさん”と言うのですよね。
(その読み方でマイ父上に怒られたのですよ正月にっ!忘れもしないっ!)
なんでなのだろう?
…父上の霊感センサーが父上にそう言わせて
私にヒントをくれていたのだろうか?
では、改めまして昨日の続きです~。
昨日は大石神社境内には末社の小さな祠が
どわ~っと結構な数が並んでいるという話をした処でしたが。
ココでオサライしたいのがコチラの記事↓
このシリーズ内で
祖母がぢつはかつて赤倉に来ていて宿泊していたらしい
という事が明らかになりましたが、
その赤倉の宿泊施設(≒巫女養成施設?)がこの大石神社の先にあるらしく
行ってみようという事に気付いたらなっており
大石神社脇の砂利道を進んでみたのでした。
その道はこんな感じで…
山ーーーっ!
ってカンジです。
こんな山って感じの道を暫く行くと
所々にお社というか、
そんな感じの建物があったりしつつ
(“カンジ”が多い!)
ちょっと開けた処へ出たので
よく見てみると…
をををっ!
ココが赤倉神社!
先へ行ってみましょうーーーっ!
ふをををっ!
赤倉大神!
つまり、岩木山の神さまって事かーーーっ!!
↑あくまでいもた説
お、お、お、 お参りしましょうっ!ガッツリ!!
手水舎の龍。 …超アヂがありますな。
神社前に建つ棒?に絡みついている龍。
向かって左と右。
うーん…
やっぱり龍が関係あるんぢゃ…
コチラは確か大正頃?に赤倉を始めたと言われている
工藤むら 氏 の像。
でも私的にはその情報も正しいとは言い切れないかなと考えておりますが
当ブログではコレ以上の言及を避けます。
ちなみに、
以前記事に出した山百合の花はコチラの花。
というか、
私が行った頃はあちらこちらで山百合が咲いていて
凄く良い高貴な感じさえしてしまう甘い香りで満ちていました。
嬉しくってマイ父上に…
「自生のモノだと思う?」と聞いてみたら
「後から植えたんじゃない?」と仰られておりました…
マイ父上がそう言うという事はそうなのかも~…
話は逸れましたが、
この辺りには他にもたくさんお社や祠などがありまして…
確か、この石像群の向えに…
このお堂があったんじゃなかったっけ?
“一代堂”って“一代様”よね。
この時の記事に詳しくまとめてあります
まぁ、どっちにしても 本当に中世の頃の津軽は…
まるで、本物の何かを覆い隠そうとするように
うま~く仏系と融合したものだよなぁ
とぼんやり思いました。
そして思わず大きい画像でのせてしまったコチラ。
よ~く見ると…
鬼の下に龍が居るのですよっ!
あああっ!益々深まる私的・ 鬼=龍神説!
それにしても
あまりにもこんな感じの建物が多くて…
あ、そういえば…
昨日の記事の画像的には3枚目をご覧頂きたい!
実は小さく赤倉の案内板があって
ソレ、撮影してました!
…え?
もっと早く出せ?←
遅ればせながらこんな感じ~。
…ん?
更にズーム。
なるほど…
たくさんある建物は
津軽の各地域毎に赤倉大神を祀るために建てたお堂っぽいです。
でも、何故?
パッと見…
削られている処に何が書かれてあったかは全部は判らない。
あああっ!
というかっ
13番…
ああーーーっ!
ワタクシ、ここまで行ってない!
たぶんこの川を超えた先ですね。
橋がかかっているのですけどもね。
いや、 この先…
何と無く…
行かない方がイイ気がしたというか…
ま、 ワタクシが行って無いにしろ…
ココで出雲大社が出てくるのか。
と言ったところで、
今回の鬼伝説に迫る企画はこの辺でお開きにしたい思います。
ホントに…
今回もナッガイ記事をご覧頂きまして
ありがとうございました!
読んで下さった方に感謝を込めて。
帰りに見上げた空に出ていた飛行機雲が
上昇龍に見えてしまって撮ってみた1枚。
というか、
長いわ~今回も。
あ、 祖母がかつて泊まったという宿泊施設は
上記川の先にあるらしい事が後日わかりました。
この時はそもそも川を渡っていないので わからなかったのです~。