おもちゃ箱な平生草子のブログ

好きなイロ色を書いております

 

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問鬼尋沢(もんきじんたく)(2)

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久々の岩木山の神さまシリーズの前回記事では↓

omochasoushi.hateblo.jp

国道31号に鬼沢地区入り口にある秘密の地図やら石碑の話をしましたが
その中で、
 “百万遍” についてはまた改めてなんて言ってましたが
ここでしなくていつするのかと思いまして、ちょっとその説明から致したく存じます。

百万遍
津軽地方のあちこちに見かけるこの石碑は
よく見ると、わりと集落の入り口っぽい所にあるのを見かけたりするかと思うのですけども
コレは昔集落の女性が沢山集まって、集落に何か悪い物が入って来ないようにと願い、念仏を唱えながら数珠を回して、集落を練り歩いて回った時の記念碑なのですね
昔は病気にかかっても中々お医者さんに診てもらう事が出来なかったので(民・百姓の暮らし向きは厳しかった為)
そもそも村に病気などの悪い物を入らせないようにしようという昔の方々の知恵と言いますか、苦肉の策といいますか
でもコレはコレで一種の呪術だから余程ではない限り効果があったのではないかなぁ
平川市の猿賀神社の程近くの神宮寺に百万遍の模様を記した絵が奉納されて飾られており


、、、、って、神宮寺の話もまだしてませんでしたっけ?(汗)
では問鬼尋沢(もんきじんたく)シリーズが終わったら早めに詳しくやると致しまして
その絵をコンデジで撮らせて頂いたのがコチラ ↓ 

猿賀ではお寺さんの中で住職さんも交えて成されたのでしょうね
このように昔は沢山の人の思い・念が村を護ったのです。
そういう昔の人たちの思いの形が “百万遍” の石碑と思って頂けると良いかなと思います。
最近では道路交通法による事情があったり等々で行われる事が少なくなってきたのだそうです。
昔に出来ているのだから、今でも出来ると思うのですけども
こういう良い民俗習慣といいますか、この先にも継承されると良いですよね。

 

それでは地図を先に進みますよ〜 ↓ 

百万遍の石碑もあった鬼沢入り口ポイントから国道31号に沿って鯵ヶ沢側へ進みますと
追分石が御座います ↓ 

コチラ ↑ が鬼沢の入り口近くにある追分石
因みに2年前の写真だと何と言いますか草に覆われておりまして、こういう撮り方しか出来ないという感じだったのかもですけども
最近通った折に撮ったのがコチラ ↓ 

サッパリして見つけやすくなってました!
後ろの説明にもありますが、追分石は昔の街道の分かれ目に建てられた道標の石で、建てられた年代は判っていないのだそうですが
右 鬼神宮

鯵ヶ沢

となっていると。
青森の追分石は大体江戸時代のどこかの年代が多いような?
つまり、やっぱり昔は鬼神社は神宮と呼ばれていたのかもですねぇ
少なくともこの石碑が建った頃は。
いや、鬼沢ではよく聞く話なのですよね。
鬼神社は昔は岩木山神社や猿賀神社と同等かそれ以上の格の神社で “神社” ではなく “神宮” だったと
明治時代に神社のいろんな決まりが出来た時に(今の神社庁?)格が高いと納めるお金も高くなるので、高い格設定の神社にしなかったと。
ですがここだけの話、をここで書いて良いものか悩みましたが割と重要なのでこっそり記しておきますけども←(笑)
現に近代というか現代というかでも「格を高くしませんか」的なお話を貰ったそうです。
まぁ、村の神社が良いという事になってそのままになったらしいのですが。

といった辺りで今回はこの辺で


読んでくださった方に感謝を込めて。

 

7月の鬼沢秘密の地図ポイント ↑ 
お花畑でした!

こちらは鬼神神社で見かけた百万遍に使われる数珠 ↑ 
鬼沢にもう少し本格的なものがあったはずだと思いますので、その写真が撮れたら差し替えます。